身辺雑記の最近のブログ記事

春の息吹

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庭にあるシークワーサーの木々に花がついて独特の爽やかな香りが漂います。 
ミツバチなんかも誘われてブンブン一杯。 
マンゴーも花を咲かせています。 
陽気でニャンコもうつらうつらで幸せそうです。 tenten-800536-2014年03月05日 19時17分.jpg
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2014年 謹賀新年

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明けましておめでとうございます。
今年は教師試験をめざして頑張りたいと思います。
今年3月から担当している自治会の班長の仕事。 
半年で交代ですが、その最後が9月16日の敬老会のスタッフです。 
午後2時に自治会館に班長達があつまり、会場に飲み物や食べ物運び込み、椅子や机を並べ、開場の準備をします。 
やがてお歳をめした先輩方やその付き添いや地域の顔の人たちが集います。 
アダルトな雰囲気(有り前か!!)が充満します。 
会長や偉いの方の祝福の言葉が述べられ、時間は進み舞台は余興にはいります。 
その間にも参加者はふえつづけ、結構ひろいはずの自治会館の席がみるみる埋まります。 
あとで聞くと過去最大の参加者で180名ぐらいはいたのではないかと。地域のおじいとおばあの大集合でした。 
宇栄原は住民あたりのご年配者の割合が高いとのことでした。 
家族のなかにおじいちゃんとおばあちゃんが居るのはなにかいいです。 
舞台では恒例のかぎやで風とか婦人会のフラダンスなど様々な踊りが行われます。 tenten-800536-2013年09月17日 21時17分[1].jpg
なかには日系ハワイのすごい若くて美人のベリーダンスなどもあり、おじいちゃんだけではなく、ご婦人方も眼をキラキラさせる場面もあり、微笑ましかったです。 tenten-800536-2013年09月17日 22時30分.jpg
後半は地域の歌姫、長嶺ルーシーさんが出演して、その美しい声を聞かせてくれます。 
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ますます上手さが際立ってきています。 
会がおわり、外にでると地域の旗頭が帰る人達を迎えて踊っていました。沖縄のオジーとオバー永遠なれって感じですかね犬 
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師事していた宇栄原三線工房の新垣正秀先生が亡くなりました。 
この前の日記にかきましたが、ちょうど川崎沖縄県人会のイベントである綾心に、工房の代表としてお店をだしていたために、直接死に目には逢えませんでした。 
20日沖縄にかえって、先生の位牌に手を合わせました。 
実は先生はこの2月から肝臓をわずらって病院に入院していました。 
私は平日ほぼ毎日のようにお見舞いにいき、先生のかわりに工房を仲間と運営しているなかでの、様々な出来事を話していました。 
そのような毎日で、入院から3ヶ月間みていて、先生の様子が徐々に悪い方にむかっているのを気づいていました。 
予感があり、上京の前に息子さんになにかあったら連絡するように事付けていのが、あたってしまいました。 
私の三線人生は「作って、歌って、演奏して」を信念としています。師匠は四人います。 
そのうち三人は演奏の師匠です。 
そして作る方の先生は新垣先生一人でした。 
いまその一角が今回見えなくなりました。 
新垣先生とであって五年、三線づくりに本格的に師事して三年目です。 
ある意味新垣先生の手に惚れ込み、この手を継承したい、先生の名をもっと世に広めたいとおもい、活動してきた三年間でした。 
その光がいま消えたのです。 
いろいろ悩みましたが、腹をくくり、ある決断をのこったご遺族の方にお願いしました。 
「新垣先生の『宇栄原三線工房』を継ぎたい」 
そうお願いした所、快く了解していただきました。 
実のところ工房は土地は借りたもので、建物も仲間で立てた掘っ建て小屋みたいもの、多少機械や道具はありますが、正直古いものばかりで、高価な財産にあたるものはほとんどなく、息子さんやご家族のかたも、とくに工房に関係することなど、これまでなかったとのことでした。 
唯一最大の財産は先生そのものでした。 
大勢の人がここに集うのはひとえに先生がいたからでした。 
その人はもういません。 
先生がお元気なときには光り輝いていたその場所は、今みすぼらしい倉庫と変わりません。 
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このままでは工房が消えてしまう、先生が入院した2月からずっと心のなかに抱えていた、恐怖にもにた疑念がいま現実のものになりました。 
申し出た場にいたご家族、そして親族を代表して言わせたご遺族の方も、私が申し出たことで、新垣先生の流れが続くことを喜んでくれました。 
本当に私にその資格があるのかどうかはわかりませんが、とにかく工房をまるごと引き継ぎ、宇栄原三線工房の二代目となりました。 
先生の名に恥じないように頑張りたいと思います。 


5月18日から川崎でひらかれる綾心のイベントに参加するために神奈川に旅行しました。 
いつもお世話になっている宮森先生の三線教室に泊まります。 
以前あった大和の教室から移動した新教室にも初めての訪問になります。 
そこで宮森先生がこの春の叙勲で勲章を授与された事を知りました。 
おめでとうございます。 
自衛隊時代の医療教育の貢献にたいしての叙勲とのことですが、地道にな努力に誰かが見てくれているということだと思います。 
良かったですね。先生。犬 

5月2日の深夜、いきつけの小料理屋「鶴」のママさんの勧めで読谷村大木にある国吉真勇先生のお店にである「寿の花」にいきました。 
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ママさん自身が民謡を歌っていて、その先生の友達が国吉先生とのこと。 
ママの娘さんの結婚式が7月にあるので、その出演依頼もかねて一緒にいことのことでした。 
まあいくのはかまわないのですが、鶴が終わってから出発で、その時点で午前0時を過ぎです。 
店のある小禄宇栄原から読谷まで車で移動です。 
ママさんの先生筋にあたる全琉球民謡協会の金城朝栄先生やスタッフ、鶴の常連さんなどを2台の車で深夜の高速をぶっとばします。 
国吉先生のお店についてからは、先生のライブステージを聞いたり、カラオケで民謡でもりあがたりともう大人の時間でもりあがり、家にかえったのは4時すぎでした。 
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楽しかったけど、しんどい一晩でした。

人を案内する用事がありまして、読谷村の真栄田岬に行きました。 
久しぶりに綺麗な海を見ました。 
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テンペストの撮影にもつかわれた浜みたいですが、たしかに綺麗です。 
途中の崖につくられたいかも古びた墓に沖縄の昔を見ました。 
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途中ではいったバナナ園にフルーツパットがバナナにしがみついていました。 
よくみると可愛いですが、基本翼の生えたネズミですよね犬
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やんばる放浪記

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先週になりますが、2泊3日の泊まり込みの事で山原の村や山の中を歩きまわりました。
調査初日、午前中の仕事をおえて、まずは腹ごしらえということで、オクマビーチにちかいひまわり食堂にて牛そばなるものを食べました。変わり種の沖縄そばですが、なかなかの旨さでした。
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この日はそのあと調査担当職員の紹介で山原の山奥にある理想郷(職員弁ですが)という場所に案内して貰いました。 
そこは山の斜面をのぼり見下ろすとすり鉢状の緑の圃場が広がっていました。 
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聞くとカルスト台地ということで、静謐ながら実に気持ちのよい空気で流れていました。 
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昔はこんな閉鎖的な空間に数件の農家があって、この山奥から海岸の学校まで小学生が山の中わ数時間かけて通っていたそうです。 
まるで小説にでも出てきそうな情景でした。 
それこそ琉球王朝時代の人々がどんな暮らしをこの地でしたいのか。
月の光にてらされた山々にむかって、どのような歌声をあげていたのか。
実にロマンチックな想像をかきたてます。
この日は山原にある通称猫ハウスでお泊りです。
海の近くで眺めもよく、なにより数匹の猫とわんこが実に可愛いでのです。
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それにしては猫の視線が怖いって話もありますが、本当に良い子たちなんですよ。

初拝み(はつうがみ)とは、旧暦の1月2日に地域の門中(一族)の代表者が、その地域の聖地である拝所(はいしょ)を回る行事です。 
今年は2月11日がその日に当たります。 
私は今回、門中の佐事とよばれる世話役の役目が回ってきたため、まずは門中の宮にいき、お参りをしました。そのあとオジー達といっしょに拝所を回りました。 
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拝所といっても、だいたいは昔の井戸や水が湧き出ていたところなど、生活に重要な役割をしていた場所が多いです。 
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祈りを捧げながら車でまわりますが、その間さまざまな話を聞かされます。 
やれ遠い昔にどこぞこの親戚の庭から首里城の龍の柱がでてきて、それを王様に献上したら褒美をもらっただの、むかしは門中が地域の御嶽(地域を代表する聖地、神社の原型みたいなもの)を管理していただの、さまざまな伝説にちかいような話ばかりです。 
まあほとんどは噂話ていどなんでしょうけど、写真にもありますが、拝所にたっている石に梵字が刻まれていて、琉大の偉い先生が調査しにきたけどわからないとのことでした。 
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子供ときはその石の上にのって遊んでいた記憶があって、ちょっとびっくりでした。

今日は夜に宇栄原字誌編集委員会に参加しました。 
字誌とは、自分のすむ郷土の歴史を本にするということで、ほんとに地元宇栄原の歴史・文化などをさなざまな角度から調査して、本にまとめる作業です。 
会は1時間ほどの講義があり、那覇市歴史博物館 学芸委員主査 外間政明氏の話で、郷土史をまとめるうえでの基本的な注意点など有意義な話が有りました。 
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後半は先輩方との懇親会で昔の話などを聴きました。 
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会は地域の先輩たちが中心ですが、、私は自分なりの思惑があり編集の下っ端として参加しました。 
目的は長らく本土で生活したためにわからくなった郷土の知識を手に入れること。 
もうひとつは戦前は宇栄原でも開催されていた村芝居の復興です。 
とくに村芝居の復興は自分が琉球古典の三線演奏を勉強しているので、出来れば古典を広く、深くひろめたいたいとの思いがあるのです。犬

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