練習の最近のブログ記事

今日自分の身体に新たな変化が加わりました。 
毎日古典の課題曲の練習をしています。 
朝は出勤前に発声練習で裏声を中心に、混声にもっていくための訓練です。 
これはバイク通勤しながらヘルメットの中でも声をあげて発声しています。 
これって周りにはどう聞かれているのか、きっと変なう唸り声をあげたバイクが通り過ぎるのを変な目でみているのだろうと思うのですが、時間がないので止められません。 
昼は会社で急いで食事をして倉庫で40分ほど課題曲の「作田節」「ぢゃんな節」「干瀬節」「子持節」などを演奏します。 
家に帰ってからはまた1時間から2時間課題曲の練習です。 
こんな毎日をこの半年つづけています。 
演奏と発声、この二つはこの数年の課題でした。とくにここしばらくは、発声における技術としてベルカント唱法に注目して、独習でさまざまな練習をして来ました。 
琉球古典は地声(胸声)を中心とした発声方法をつかうと教えられ、裏声はご法度となっています。 
実際は裏声をきたえることは、地声にも良い影響をあたえるわけで、これまでは地声がよくなってきたというレベルで練習の成果が出ていました。 
しかしこの数ヶ月裏声をきたえる練習から、裏声と地声の統合、つまり混声(ミックスボイス)を目指しての練習に切り替えました。 
しばらくはとくに効果は出ていませんでした。むしろこれまででていた声がでにくくなったところもあったりして、すこし焦り始めたところでした。 
でもたしかに練習の成果で地声から裏声に変化する所、声がひっくり返るところですが、そこが次第にひっくりかえらなくなってきていたことは感じていました。 
今日の昼の練習で、いきなりそれまでの胸声を中心とした声に、なにか別の声の帯域がおおかぶさってきました。とてもみょうな感覚でした。 
まるで自分の声が自分のもでなくなったこのような感覚です。 
正直それまでまがりなりにもまとまっていた声からすると、バランスの悪いギスギスした声です。 
たぶんこれを混声というのだと思うのですが、正式な指導をうけたわけではないので断定はできません。
しかし個人的には非常に可能性を感じる声なので、このままブラッシュアップしていきたいのですが、八月の受験までやらないといけないことが一杯あるなかで、いまさら発声をかえることがよいことなのか、どうなか悩むところです。 
しかしせっかくの変化です。ここはこのまま新たな発声に挑戦してみたいと思います。犬
 前回その2で「うたうこと」読んで感じたことを9つ書きました。

1.発声のための仕組みは、身体の中で毎回形作られ、固定されたものではない。 
2.世界的な声楽家の喉もごく普通の人の喉も、その構造はかわらない。 
3.言葉を喋れば喋るほどを歌えなくなる。 
4.複式呼吸など呼吸法をまっさきに訓練しても唄はうまくならない、むしろ悪くする。 
5.唄がうまくなりたければ地声ではなく、裏声(頭声・ファルセット)を重点的に先に鍛えること。 
6.正しくない発声でも声はでる。しかしそれを訓練として続けると声を潰すことなる。 
7.自分で歌っている声は自分では聞けない。 
8.5.を受けてよい指導者を探せ。 
9.近代の声楽指導法はほとんどが間違っている。むしろ古典的なイタリア流派(ベルカント等)のほうが正しい指導法である。 

 今回は1以降について説明します。


2.世界的な声楽家の喉もごく普通の人の喉も、その構造はかわらない。 
 本によると前回説明したような声をだすための人体の仕組み、なかんずく声帯などの仕組みを高名な声楽家と一般の人と比べた場合、ほとんど差がなかったそうです。
つまりすばらしい声を出すということは、なにか特別な身体の仕組みがあるということではなく、今すべての人が持っている声を出す機能をいかにうまく操るかということが重要だということです。
逆にいうと、普通の人の声を出す仕組みは、日常的に壊れてい仕組みである本では強くいっています。声の仕組みが壊れている?
 なぜそのような事になるのか。私達は自分たちの喉を使う場合、日常生活で言葉を喋ることに特に不自由しているわけではありません。
本では人間の声を出す、この複雑精妙な仕組みが一朝一夕にできたのではなく、遙か昔、それこそまだ人間が言葉というコミニケーション手段をもつ以前から、ある目的に合わせて創りだされたものだと記述しています。そう、古代の人間がつかっていた言葉ではないコミニケーション手段とは唄うことです。
 本の例では赤ちゃんの発音を紹介しています。
 生まれてしばらくの赤ちゃんのあの声、まるで小鳥が囀るような独特の高音域をともうなう言葉にならない声を、あれこそが言葉以前に人が持っていた喉の使い方の痕跡だというのです。

「baby laughing 赤ちゃん笑う」
http://www.youtube.com/watch?v=6PO7c-Fi1_Y&feature=related

やがて赤ちゃんは言葉を覚えるうちに次第にその最初の発声方法をかえていきます。
つまり地声中心の発声に声をかえ、大人になっていきます。

 つまり本来人類は声帯をすべて満遍なくつかって生活していた。しかしやがて言葉を発明し、それがコミニケーションの中心なるにつれ、発声の仕組みを全体域をつかう方法から地声中心の方法、声を出す機能のうちごく一部しか使わない方法に変わってきたというのです。
そうなると身体の機能はどうなるか。
 使わない機能は衰え退化する。これが生物の身体の基本的な動きです。
 言葉は地声中心、つまり声帯のうちは声唇のみで事が足りてしまい、高音域を発生させる声帯靭帯はほとんど使いません。使わない声帯靭帯はどんどん機能が落ちていきます。
つまりほとんどの人は日常において損なわれた機能の発声器官を普通と考えて生活しているのです。これが
3.言葉を喋れば喋るほどを歌えなくなる。 
の意味になります。
逆にいうと良き声楽家というのは、損なわれた機能を回復し、本来の人の持つ能力を十全に発揮した人々だということがいえるわけです。

少々長文になります。 
前回紹介した吟剣詩舞音楽サイトには日本の民族音楽における声楽についての知識・訓練のヒントが少なからずあります。それらを読み込んで、琉球古典音楽の声楽訓練法として実践するだけでも、かなり有益なものがえられます。 
今回は吟剣詩舞音楽サイトの中で資料本として紹介されている本のうち、とくに強く興味をもった本を紹介します。 

「うたうこと」発声器官の肉体的特質 -歌声のひみつを解くかぎ- 
フレディク・フースラー / イボンヌ・ロッド マーリング 著 
音楽之友社 189頁 4300円 
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この本は1965年に英語・ドイツ版が発刊され日本では音楽之友社が1987年翻訳出版されました。 
一読するなりすごい本だということがよくわかり、訳者あとがきでも述べているとおり、出版当時世界中の声楽家たちがこの本を先を争って買い求めたというのがよくわかります。 
内容は良く歌うということを解剖学的に肉体の生理として説明しながら、声を鍛える上での指針を述べています。 
本では膨大な論が記載されており、その全体については目次を参照してもらうとして、ここで特に記憶にのこったもの簡単に述べます。 

1.発声のための仕組みは、身体の中で毎回形作られ、固定されたものではない。 
2.世界的な声楽家の喉もごく普通の人の喉も、その構造はかわらない。 
3.言葉を喋れば喋るほどを歌えなくなる。 
4.複式呼吸など呼吸法をまっさきに訓練しても唄はうまくならない、むしろ悪くする。 
5.唄がうまくなりたければ地声ではなく、裏声(頭声・ファルセット)を重点的に先に鍛えること。 
6.正しくない発声でも声はでる。しかしそれを訓練として続けると声を潰すことなる。 
7.自分で歌っている声は自分では聞けない。 
8.5.を受けてよい指導者を探せ。 
9.近代の声楽指導法はほとんどが間違っている。むしろ古典的なイタリア流派(ベルカント等)のほうが正しい指導法である。 

などなどこれ以外にも一杯あるのですが、興味のある方は絶版状態ですが中古でもなり本書を手に入れて読んでみてください。 
ここでは簡単に1について述べてみたいと思います。 
私達が普段何気なくおこなっている声を出す、唄を歌うということが、実際にはどのように行われているかというのを、本書をもとに自分なりに説明してみます。 

人が声を出すというのは、一般的には息により声帯が震えて、その震えが空気振動してつたわり音波として外界に放出されるということと認識しているとおもいます。 
そしてもう少し発声について勉強した人ならば声帯の振動は口の中、鼻の穴、さらには全身の骨や体組織などに共鳴を起こさせて音色がでるということもわかっているとおもいます。 

以上のことは間違いではないですが、人が声を発声するための仕組みの説明としてはかなり大雑把するぎるのです。人がもつ発声の仕組みは実はとんでもなく複雑な仕組みが必要です。 

まず発声のための固定された仕組みはないと言うことが前提にあります。 
声帯があるではないかと言われるかもしれんが、声帯は重要に要素ではあっても、あくまで身体の発声機構の仕組みの一部でしかないです。 
それを表したのが写真3の仕組みです。 
素人がフリーハンドで書いたものであり、細かい部分など書き落としているますが、だいたいこんなものだと考えください。 

声帯が振動しているというのは正しいのですが、実際のところ声帯は2種類の部分で構成され声唇とよばれる自ら形を変えることができる筋肉でできた2枚の膜とそれの表面を包む声帯靭帯とよばれる自らは動くことができないが、強靭な膜で出来ています。 
簡単にいうと地声(胸声)はこの声唇の振動を主につかいます。そして裏声は声帯靭帯の振動です。 
どちらも膜ですので、良く振動するためには薄く膜状に張ることが必要です。特に自ら動く事ができない高音域を担当する声帯靭帯は薄く伸ばせば伸ばすほど高い音域を出すことができますので、そのことは重要になります。 
そのため仕組みが図の仕組みです。 
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この図にあるとおり声帯は気道の途中にある輪状軟骨と甲状軟骨という2つの筒状の骨の内部あります。内部で一方を披裂軟骨でつながりも一方の端を輪状軟骨とつがっています。それぞれ輪状軟骨・甲状軟骨・被裂軟骨は別々に動けるように繋がってます。さらにそれづれの軟骨は図で示されたような筋肉で縦横上下とつながり、別々にどの方向にも動けるようになっています。つまり声帯という仕組みは、常に気道の途中で宙吊り状態で存在しているということになります。 
ある声を出すということたとえば「あ」という声を出す場合には以上の仕組みが複雑にうごいて、最終的に声帯は「あ」という震度をだすための緊張状態をとります。呼気を通じてその振動はさらに口腔や鼻腔など共鳴組織を通じて音を整えて、外方に放射されるということです。 
これら複雑な動きを人は通常意識せずにおこないます。 
ここで問題なるのは、つまり声というはの毎回違う音を出すたびに、その発声器官の構成要素を動かしているということです。本で例えをだしていますが、楽器に例え三線だと考えると、常には棹も弦もカラクイも胴もすべて外してバラバラであり、ある音だすときには毎回それぞれを組み立てて一つの三線にしてから弦を弾いて音をだし、それが終わるとまたそれぞれの部品に別れる。人間の発声器官というのはそういうものだと言うことです。 

これを知ったときにはかなりショックでした。 
声を出すということは、これだけ膨大な組織が関係しているのだと、初めて知りました。 
そしてこれだけ複雑精妙な仕組み全ての人が持っていて、しかも言葉を喋るためだけなら実はこれだけ複雑な仕組みが必要ないことも。 
ではなんでこれだけ複雑な仕組みが必要なのか。 
そう、それは唄を歌うためになのです。 

その3に続く


今回は少し長文になります。 
琉球古典を学んで数年立ちました。 
唄・三線と称されるとおり、この2つの要素が修行の中心です。 
今回はそのうちの唄について少しばかり述べてみたいと思います。 
三線を始めた当初から自分の声はコンプレックスでした。 
声が上は伸びない、下は出ない。 
もちろん三線を弾くこと自体も不器用な自分には難しいものでしたが、こちらは不器用なりに一生懸命やればいつか身体がついてくる信じていたので、それほど気にはなりませんでした。 
しかし声は訓練すれば多少上手くなることはあっても、生まれついての悪声はどうしようないとある意味諦めていました。 
それでも低い帯域は生まれつきで変えようがないとしても、高いところはなんとかなるのではないかと、横浜に単身赴任していたころは、よくマンションのトイレで地声を精一杯張り上げて練習しました。 
それでうまくなったかというと、よく喉を荒らして2.3週間咳き込んでいたものです。それを毎回繰り返してやはり声は良くならないものだとちょっと諦め気味の状態で2009年のコンクールでは新人賞を落選しました。 
それが沖縄にかえり、まず湛水流の山内先生の門をたたいてから声についての認識が徐々にかわりました。 
三線の練習のなかで先生からは琉球古典における、正しい声の使い方について、教えて頂きました。教えのなかである意味ショックで、興味深かったのは、琉球古典における裏声というか高音域の大切さでした。 
一般的な琉球古典の発声の教えでは、古典は地声だけをつかい、裏声は厳禁というものでした。 
山内先生の教えは、古典においても高音域は息を抜いた声使い、つまり裏声というものを使い、発声においては重要な要素であるというものでした。 
実際練習のなかでは声を鍛えるメソッドもあり、それが功をそうしたのがどうか、翌年のコンクールでは新人賞を取ることができました。 
そこから声楽についてある程度専門的な知識、練習の必要性に思い至りインターネットでいろいろ調べました。 
そしてたどり着いたのが以下のサイトでした。 

吟剣詩舞音楽 
http://www.kcc.zaq.ne.jp/ono/index.html 
ここのとくに以下の3つのページは読んでいろいろな意味で参考になりました。 
■吟詠音楽講座(発声の原理) 
■吟詠の為のヴォイストレーニング 
■吟詠の為の発声練習実践編(伴奏付) 

サイトは、上記の3項目以外のページも本当に丁重につくられていて、日本の古典音楽における声楽に興味が有る人には実に良いサイトだと思われます。 
そして山内先生の教えと、このサイトを参考に琉球古典における自分にあった声の出し方とはどのようなものか、研究の日々がはじまりました。 

2つ情報元が指し示しているのは、発声における高音域の裏声の重要さについてです。 
そして吟剣詩舞音楽のサイトから浮かび上がってきたあるキーワード、それはベ「ルカント唱法」というものでした。 


その2に続く。 

山内秀吉先生のブログ。 
「フラワー&カフェ ライブ空間てんてん」 
http://tententen.ti-da.net/ 
以前よりほしかったボイスレコダーですが、就職してすこし余裕ができので、思い切って購入しました。 
TASCAM(ティアック)のDR-07MrkⅡです。当初はもう少し安いDR-05にする予定でしたが、どうせ買うならとすこしむりして、こちらにしました。 
最初は使い方もわからずにもてあましていましたが、なんとか使えるようになりました。 
それで自分の練習の声を録音して聞いてみると、自分が歌っているときと、録音した声のあまりの違いにちょっとびっくりしました。 
人って自分の声は、そのまま聞いているのではなく、頭蓋骨などにも反響している成分をきていると何かでよんだことがあるのですが、本当です。これで少しでもうまくなれば良いのですが。
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