2009年1月アーカイブ

昨日紹介したサイトに乗っていたドレミと工工四の換算表をつかって教室でつかう2や3の音などについてもう一度作り直してみた。
以前に作成したものは合から工までしかなく、さらに半音の取り扱いなよどが間違っていて、いかに自分に音楽の知識がないか良くわかる。
換算表1をまずエクセルで作成し、それをまとめたものが換算表-2である。
クリックすると大きな表をみることができます。

kanzan1.jpg

kanzan2.jpg

これをみると尺の取り扱いが不安定なのがよくわかる。
この表では便宜上単純に二つの音の真ん中にしているが、時代や場所によって微妙に音がかわると、参考にした資料には書いてある。
個人的な感想だと他の勘所とちがって小指をおもいっきり伸ばさないと正確に音がでないところから、微妙に音がずれるせいかもしれない。
これで現在私が課題としている
高域の八は3の音でF#
低域の才は3の音でF#
ということがわかる。
つまり伊野波節というのは演奏に2オクターブの音域を声で要求する作品であるというこである。
本日から低域の第11節目を20回歌うことをさらに練習メニューに加えました。
これで伊野波節を5回で33分+高域第2節20回14分+低域第11節20回7分で合計54分、つまり1時間は毎日練習することになります。
大丈夫か?俺の喉。犬

才凡勺ってどんな音?

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12月の半ばから本格的に伊野波節の練習をはじめて今日で130回目、当初からの課題は高い音域だった。
 もちろん高い音域にはいま苦戦しているわけだが、実は伊野波節が難しいのは高い音域だけではない。低いほうも結構つらいものがあるのだ。
 三線の楽譜たる工工四には、野村流の場合弦楽譜と声楽譜がある。
 弦楽譜に書かれる音域は三線の機能上一番下の音である合より下の記号は無い。ところが声楽譜をみると勺凡才と記号がかかれており、先生について歌うと合よりも下の音をあらわしていて実際声は非常に低い音域を出すことになる。
 これまで高い方の音に一生懸命だったが、今日はすこし暇ができたので、いったい低いほうの音がでているのかチェックしてみた。
先生からは簡単に合より低いとは説明があったのだが、勺凡才がいったい西洋音階のどの音にあたるのかあらためてインターネットでチェックしてみた。
普段あまりお目にかからない記号である。もともと楽譜については弦楽部については説明はおおいのだが、声楽譜についてあまり説明がない。
 それでもようやく見つけたのが以下のサイトでした。

 「工工四についてのお話です」
 http://www.h4.dion.ne.jp/~sansin-q/cishiki/kunkunsi.htm
 工工四の歴史や西洋音階との比較など非常にわかりやすく説明してあり個人的には良いページだと思いました。

そこによると

『声楽譜付 野村流工工四 上巻(野村流音楽協会)』では〈勺〉〈凡〉〈才〉と書かれています。同工工四の説明を見ると、
  〈勺〉=〈尺〉の1オクターブ下
  〈凡〉=〈中〉の1オクターブ下
  〈才〉=〈上〉の1オクターブ下
となっているそうです。
 私まだ上巻もっていないのでわからなかったのですが、さすがちゃんとあるんですね。
 これを西洋音階に置き換えると
 勺(シ・A)
 凡(ラ・G)
 才(ソ・F)
となります。
 もともと三線の演奏は唄三線といわれるぐらい、唄が重要で三線はそれを支えるためのものであるという関係です。
そして唄者+演奏をひとりの人間がやることが要求されるところが難しくもあり、また楽しいところでもあります。
伊野波節の場合、弦楽部と声楽部の音程やリズムが別々の演奏することを要求されます。
演奏の前半は高い音域を後半は低い音域を中心に組み立てられています。この低いところは本当に低く声と三線の音がずれるところです。
たとえば弦楽部では四(ファ・E)なのに声だと勺(シ・A)や弦楽部で合(ド・C)なのに下の才(ソ・F)なんて演奏を要求する部分があります。
 低いところを正確にだせているのかどうか、今日はチューナーに直接声をあててしらべてみました。
 その結果は3の音でF#、つまり才(ソ・F)の高い方のところまではでているようです。こちらは精進すればなんとかきっちり才の音域をだせそうです。

 さてついでに課題の高い音域のほうも調べてみました。
出さないといけない高さは3の音を基準にして一オクターブ高い八(ソ)の音である。
 低いほうの基準でB(ド)からはじまり BCDEFGABCDEF のならびで最後F(ソ)になる。工工四だと合乙老四上中尺工五六七八とならび最後の八の音ですね。
 12月にチュナーで計ったときの最高が五(レ)の音が限界だった。
 チューナーに伊野波節の高い第2節の音を当てる。ここで肝心なのが琉球古典音楽では、男性の唄者はどんなに高い音域でも裏声はつかえないということである。ファルセット抜きで地声でこの高い音域を出さないといけないということである。これが奄美などの島唄だとゆるされるのらしいのだが、本島の古典では許されないのだ。女性の民謡だとそれが許されることで、したがって沖縄民謡の男女の掛け合いには極端な声の差がでる。これもまた沖縄の芸能の特徴を形作っているのだと思う。
 今回は計ってみたらチューナーの表示部にはE♭がでるようになった。1ヶ月半かけてDをクリヤしてEまでは出るようになったようだ。
 全音符一つ半は伸びたことになる。
 今日から通常の伊野波節5回30分の練習に加えて、第2節の高音域のみの部分をとりだして20回の練習を加えることにした。時間的には10分程度の追加だと思うが、音域的にはあと音符一つ半だけ上に伸ばさないと八の音をだしたことにならない。少々喉の調子がおかしいが、逆にいえば練習が効いているということなので、もう少しがんばってみようとおもう。目標は3月までに八の音をクリヤしたいものだ。

ここしばらく喉の調子がおかしい。
風邪ではない。
体のどこにも不調はないのだ、ただ喉がヒリヒリする。
要するに唄いすぎ、伊野波節の練習のし過ぎだとおもわれる。
こんな喉の状態で火曜日は沖縄料理のオフで飲みすぎるほど飲んだ、したがって昨日の三線教室の練習は悲惨だった。
ただでさえ傷みかけの喉でおもいっきり声を張り上げるものだから、出てくる音はガラガラである。
それでもあまり痛みは感じない。あの風邪を本格的にひいて、腫れあがったというのとは違うのだ。
しかしいったいどれくらい練習したのか、去年の年末からかぞえてみると大体125回程度は歌っているようだ。
なんかたったそれだけって感じだが、この程度でも僕の喉にとってはかなりの重労働だったようだ。
僕自身はとんと音楽的な素養は一切ないが、とりあえず飽きずに練習することはできるようだ。
自分でもおかしいぐらい練習を続けることができるのだ。実際のところ新しい曲をうたうことの新鮮さはもうない、そろそろ練習に入る前には少々億劫と思うようになっている。
それでもいざ唄いだすと夢中になる。
伊野波節は日々毎日毎回歌うたびになにかしら発見があり、また自分がすこしづつく変わっていくことがわかるのがうれしい。
最近すこしだが練習で聴くCDの先生の声が冷静に聞き取れるようになったように思う。
そして先生の声とじぶんの声を合わせることが少しできるになったような気がする。
合と四と工の音にすこしだけ、自分の声の高さをあわせることができるようになった気がする。
そして課題の七と八の高音域だが、出ないまでも以前にくらべると高いほうが少し太くなったような気がする。
そうみんな気がするの段階で、まだ成果はみえてこない、それどころか喉を痛めて意味がないかもしれない。
でもね、今年50になった、こんなオッチャンでも唄うことはほんと楽しいのだ。

本日は第10回新春野村流合同大演奏会に行ってきました。
私が属している野村流六派合同の新春の弾き歌い始めの会です。
場所は沖縄県北谷にある北谷町屋内運動場、日時は1月4日正午開場で午後1時開演です。
三線の教室で先生から沖縄にかえるのなら、参加してみたらと入場券をいただきました。
以前演奏会をビデオで見せられて興味があったので、喜んでいただき、会場に足を向けたわけです。 僕の家から会場の北谷町屋内運動場のある北谷の美浜までは約1時間です。
奥さんをつれて車で58号線を北上します。
美浜カーニバルパークにつくと会場に向かう前に痺れ防止の尻の下に敷く小さな椅子を買うためにメイクマンによりました。
正座椅子の名前の製品は1980円でした。
これがあるのと、ないのでは演奏が天国と地獄ほどの違いになります。
横浜では買ってあったのですが、沖縄では用意しておらず、おかげで伊野波節の練習では、大体3回歌うとギブアップで、しばらく七転八倒の苦しみを味わいながら、痺れを解消して残り2回分の練習をこなしていました。
正座は大体15分が限界のようです。今回は一人ではないので、さすがにみっともない格好はできないので、購入することにしました。
北谷美浜にはジャスコやメイクマンなどの比較的大きな店舗が集まっており、駐車場も比較的広めにつくってあります。
今回は演奏会のほうで、ジャスコの駐車場が本会上の補助駐車場に指定されており、メイクマンから近くのジャスコの駐車場に車をとめました。
そこから奥さんと別れて私は会場の北谷町屋内運動場に向かいます。
距離にして1キロあるかないかです。途中三線ケースを持った人々とあっては同じ方向に向かい合流します。
到着した北谷町屋内運動場は巨大な体育館という感じです。
受付をすませて館内にはいると、もう7割がたは床が埋まっています。
それぞれ適当に床に引かれた枠線を基準にすわり、三線の準備をします。
この時点で午後12時40分ぐらいでしょうか、続々と私の座った後ろも人で埋まっていきます。
比較ご年配の方が多いですが、中学生ぐらいのセーラー服をきた学生さんもおり、ほんとに老若男女さまざまな人がいます。
参加人数ですが、開場当初2500名、中間で3000名弱というから、それだけの人がみんな三線をもち同じ曲を弾くのですから、壮観です。
やがて司会の合図でプログラムにしたがって演奏が始まります。
最初の全員斉唱で
がきやで風節・恩納節・辺野喜節・中城ハンタ前節・こてい節
などの唄三線が巨大な体育館に響きます。中で弾いて歌っていると、あまりに膨大な音の洪水には違いないのですが、結局自分の耳には、周辺の音の壁と天井に跳ね返る残響音ぐらいしかわからないのですが、3000分の1の音だと考えるとむしろ気分が楽に歌えます。
なにせこれだけ広々した空間にむかって、精一杯声を張り上げても良いわけですから、なかなか良いストレス解消になります。
プログラムは踊りや歌三線の師匠の方々による舞台での舞踊や唄三線の独唱などをはさみながら、全員の斉唱が続きます。
安波節・道輪口説・踊りくはでさ節・金武節・謝敷節・ごえん節・港原節・出砂節など歌える歌、そうでないうたを含んでつづきます。
始まって1時間半ほどたち、後の用事があるので、途中で会場をあとにして、奥さんと合流しました。
新春野村流合同大演奏会、これだけの人数が弾き、歌う現場に自分も参加できる機会はそうそうありません。
来年から続けて参加しようかと思っています。
だって楽しかったもん

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